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【ネタバレあり】さよならの朝に約束の花をかざろう(さよ朝)考察とか

4日に友人らと感想共有会がありましたが、その時用のメモです。
感想記事にあった考察+αの内容を書きました。

「マキア」が人間ではなく「イオルフ」でなければならなかった理由


血がつながっていない親子としての2人と、恋人としての2人。
「マキア」と「エリアル」同一人物の関係でありながら、構造として複数の関係を描いた。
マキアが人間ではありえない斬新な話の作り方であり、
イオルフの設定が、単なる特殊で弱い存在で終わらない点がとても上手い。

「エルフ」のように耳が長いわけではなく、髪さえどうにかすればその場しのぎは可能。でも、数年に渡る滞在は若いにも関わらず見た目が変わらない形質から畏怖の目を向けられる。
この設定でないとこの物語が場所を転々とする話にもなりづらいし、異端の対象でありながら王子と「レイリア」が婚姻する話も作れなかった。*1

さよ朝がユニークである点の大部分を「イオルフ」の設定バランスが底支えしている。

赤目病にかかった「レナト」に連れ去られた後、なぜ「イオルフ」の里に戻らなかったか

捨て子を拾って外界の人と関わってしまった以上、長の言った「イオルフ」の言い伝えに反しており里に対し気持ちが向かない側面は強いはず。
また、里は戦火にあい、また自分たちが王国に迫害された民であり、状況として戻れない事は想像がつく。*2

「レイリア」の存在意義


最初のマキアと違い強い人。「マキア」の前に進む原動力の模範。
「レイリア」がいなければ、子供を拾うことも無かったのかなと個人的に。

子育てをした「マキア」との対比。
「レイリア」は実際に身ごもって子供を作ったが、
にも関わらず子育てに関与できていなかった

「クリム」の存在意義

「レイリア」を愛し、別れた故の「レイリア」奪還作戦だった。
「愛」と「別れ」について描かれた本作において、どちらのテーマにも関わるキャラクター。
愛があれば何をしてもいいのか。また、民の教えにあった外界に触れる事が本当に別れを意味するのか。
「マキア」に対するアンチテーゼ。

奪還作戦については「イオルフ」の民の同胞意識の演出意図もあったかもしれない。

「イゾル」の存在意義

周りの状況に振り回される「レイリア」との対比。
彼は基本的に状況を受け入れて生きていた。

「ヒビオル」の意味

「イオルフ」の民の文化としてそれを織り続けなければならず、外界に出られない理由の1つ。*3

土地には生きていくための産業が欠かせない。
架空の世界であるため、現実を舞台にした世界よりも土地についての説明が必要。
文化は基本的に土地に根付いているもの。*4

最後の「イオルフ」の里1カット静画の意味

エリアル」が亡くなるシーンまでで十分だったと言われるが、
これがないと「イオルフ」に戻ったことは分からない。
「イオルフ」に戻ってこられて、「イオルフ」の言い伝え*5を明確に克服した事が分かるし、さらにそれを「イオルフ」の一族で共有している事が推察される。
その証拠として、「イオルフ」の人々の服が変わっているが、これは外界文化受け入れの象徴と取れる。

「ヘイゼル王子」と「レイリア」の婚姻について

王家一族の長寿獲得と、伝説をバックとした権威を示す材料である。
ただ、多数派である人間にとって「イオルフ」は異端の民であり、
初めからリスキーな婚姻関係だったはずだが、
長寿としての形質が持てなかった2人の娘には王家子孫としての価値はなくなり、
「レイリア」本人も見捨てられ最悪な状態となってしまった。

皮肉にも王国は伝説の政治利用が咎められ攻められてしまう。
「レイリア」ではなく、周辺国の王家の娘と婚姻関係を結べば、
あのタイミングで攻められることは無かった可能性が高い。*6

手本となる父親が出てこない

お母さんであるミドや、ミドを手本に子育てをした「マキア」に理想像を集約させる意図がありそう。
余談だが、もしかして岡田麿里は父親嫌いなのでは?と。
PA堀川憲司社長が「岡田麿里100%」と言ってた理由はこれなのかなと思った。*7

総集編的

総集編的で時間軸の断絶が顕著と指摘される。
この作品を2時間でまとめる上で必要なシーン割であり演出だったと思う。
時間軸の断絶は場所の切り替わりと共に発生するが、人生が旅のようになった演出効果がある。
旅だと思えば、出て来るキャラがその時時で変わることに疑問は持たない。

特に終盤駆け足だった

自分の子供が生まれたばかりの「エリアル」と「マキア」の会話後、いきなり数十年時が経過するため駆け足感は否めず、例えば「マキア」と「ミド」を再開させるなど、数十年の経過の間に何かしらクッションを置くべきだったという意見を聞く。

子供に対して、また異性に対しての愛情の注ぎ方を教えた「マキア」ですが、それを「エリアル」が認識し、その事を2人の間で共有した事。
また、「エリアル」自身の子供が生まれ、愛が次の世代に継承されていく事がほぼ確定した時点で、お母さんとしての「マキア」の仕事はほぼ終わったのだろうと思う。
2人は「エリアル」が亡くなる直前に再開するが、再開にあたり「エリアル」の娘や孫の様子が描かれており、愛が次の世代に継承され、さらにその次の世代へと継承されつつある事が分かる。
また、「エリアル」が亡くなったタイミングで「マキア」は1人の「イオルフ」として一人ぼっちでない人生を再開出来たことが、「レナト」と一緒に映る最後のシーンで見て取れる。

仮にこのように解釈出来るのであれば、ストーリーが不十分・駆け足な印象は全く受けない。

故郷「イオルフ」に戻った「マキア」はパートナーを見つけたのか

「ラング」からの告白を断った際に「マキア」は「エリアルの事しか考えられない」と言っているが、「エリアル」が居なくなった今では断る理由がなくなり、新しいパートナーと一緒に過ごしている可能性が考えられる。
「別れの一族」という呪縛からも開放されていること、また「イオルフ」の服装は変化しており、「イオルフ」は人間の文化やパートナーの存在を積極的に受け入れている可能性も考慮出来る。
「マキア」が本当の意味でお母さんになっていると良い。

「別れの一族」という別称

「イオルフ」の別称として「別れの一族」という表現が作中多用されていたが、外部から付けられたあだ名にしては表現の主体が「イオルフ」自身にありしっくり来ない印象がある。
ただ、「バロウ」のような「イオルフ」と人間の混血が「イオルフ」を客観視した際に付けた別称という解釈が通るのであれば腑に落ちる。*8

*1:場所を転々とした事で時間の切り替えも行いやすい

*2:戻ったところで里として機能してるとも思えないし、戻ってもどうなるか分からない。

*3:外でも織れるけど「イオルフ」で取れる草でないと透明にはならない。パンフより。

*4:「ヒビオル」については、こちらの増田が面白かった。

*5:長老から話された「別れの民」

*6:もしかすると妃を何人も抱えていた可能性が考えられなくはないが、きりがないので置いておく。

*7:他に岡田麿里色”全開”とまで言えるような要素は感じられなかったため。

*8:特に「バロウ」は流れ者であり、別称の流布に一役買っている可能性は高いと感じている。